弁護士 森野 俊彦の部屋

ポーランドとドイツの旅から

2014/09/13 06:29:10

所属事務所の岩城、中森両弁護士に後れること約1ケ月、私も、アウシュビッツ強制収容所跡を訪れました。これまで、記録映画や書物に掲載されていた写真で、その惨状をそれなりに推測しえた私にとっても、現場で見る収容者たちの写真やガス室の状況、囚人女性たちの髪の毛で作られたというカーペット等の数々は、想像を絶するものというほかなく、言葉を失いました。ポーランド政府が「国立博物館」として保存し、専門ガイドの案内のもと、勝手な行動を許さないという見学行程の意味がすぐにわかりました。そうでもしなければ、途中でいたたまれない気持ちになるか、吐き気を催すか等で離脱する人が少なくないと思われました。  
私がドイツを好きになったのは、高校生のころ。若さゆえにいろんな本を読みましたが、なかでもウイリアム・L・シャイラーの『第三帝国の興亡』(東京創元社)は、読み応えのある5巻ものの大著で、私にとって、どうして人間はかくも愚かな戦争を繰り返すのかを考える糸口になりました。そして何よりショックだったのは、本の冒頭に載っていたゲーテの「ひとりひとりは尊敬に値するが、全体としてはみじめなドイツ民族のことを考えると、しばしば私は悲嘆にくれたものである」という言葉。18世紀中ごろに生まれ19世紀前半に亡くなった文豪がナチスの出現を予想できるはずはありませんが、「どうしてドイツ人がこのようなひどいことを」という疑問は、私にとって最大の難問でした。今回のわずかな見聞でその答えを見出すことはとうてい無理でしたが、反面、珍しい体験をしました。  
2日目のビルケナウ収容所跡(収容施設というより広大な敷地に各収容棟が散在しているという状況)を見学していた最中に、あるドイツ人から「君たちは日本人か、中国人か」と尋ねられました。「日本人である」と答えると、日本語で「この場所でユダヤ人が大量に殺されたなどということを信じているのか」と、まくしたてられました。日本語と片言のドイツ語での応酬の結果、判明したのは、彼の言い分は、例の「『ホロコースト』は作り話だった」と雑誌『マルコポーロ』に書いて大きな批判を受けたN氏の論拠とほとんど同じでした(詳しくはティル・バスティアン『アウシュビッツとアウシュビッツの嘘』(白水社)を参照してください)。私が、それは「アウシュビッツリューゲ」としてすでに排斥されていると反論すると、彼はさらに再反論してきましたが、折から我々のガイドが「時間がありません」と呼びにきたので、話はそれきりになりました。おそらく、いわゆる修正主義者の主張を信奉する一派だとおもいますが、まさにその殺戮現場までやって来て、「ガス室はなかった」と言い張る迫力には、同行の方たちともどもたじろがざるを得ず、いつの時代にもまたどこにでも、そうした言説が存在することをあらためて知らされ、複雑な思いになりました。
 旅行日程の最終日、ベルリンで自由行動の1日を得ましたので、有志3名でザクセンハウゼン収容所にいってきました。同収容所は、絶滅収容所というより労働収容所に当たるものですが、それでも幾千人もの無名の人々が殺され、終戦間近の1945年4月には、囚人が収容所から北方に向かって行進させられ、ソ連軍に発見されるまで数千人が路上で死亡しました(途中の住宅地の中にその慰霊碑がありました)。限られた時間のなかで、急ぎ足の見学になりましたが、犠牲になった収容者のひとりひとりの生まれてから殺されるまでの「証し」が丁寧に展示され、胸をうちました。そこには、ドイツ政府及びドイツ国民が過去に犯した大量殺人の責任を引き受け、ナチズムの問題を「過ぎ去ってはならない過去」として未来に引き継がんとする覚悟が見受けられました。どこかの政府にそうした姿勢を学んでほしいと願いながら、収容所をあとにしました。

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