弁護士 上出恭子の部屋

爪を切る

2008/07/01 09:00:00

 仕事をするようになって、爪が少しのびるとパソコンが極端に打ちにくく感じられ、すぐ、爪を切りたいと思うようになる。今では、事務所の机の横に爪切りを常備しているが、入所当初はなんだか気が引けて、事務所では切りにくかった。家に帰っても、「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」子供のころ聞いた言い伝えが気になって切ることが出来ず、朝出かける前はバタバタと家を出るため爪のことなどすっかり忘れて、また、パソコンの前で振り出しに戻ることが多かった。
 爪のことなど、どうでも良い話だが、先日、実母が手術のため1週間ほど入院することがあった。何十年も前に盲腸で手術をしたくらいしか経験のない人で、しかも、急なことだったから、心配で心配でならなかった。比較的簡単な手術ではあったが、万が一を想うと病院から離れることが躊躇された。幸い、今では元気に暮らしている。
こんなことがあって、今では余計に、爪を夜切ることが出来ずにいる。もうしばらくは、父も母も元気で過ごして欲しいという願いを込めて。

地球の裏側へ

2008/01/01 09:00:00

 もう数年前になるが、「モーターサイクル・ダイアリーズ」という映画を見た。カストロとともにキューバ革命を起こしたチェ・ゲバラが、革命家になるずっと以前に、親友とともに故郷のアルゼンチンからチリ、ペルー、コロンビアといった南米諸国を縦断する様子が描かれている。それまで縁のなかった南米という土地に、この映画で魅了され、いつか必ず訪れてみたいと思っていた。
 そして、この夏、どこへ行きたいだとか、何を見たいだとか考えもせず、とにかくチェ・ゲバラの故郷「地球の裏側」のアルゼンチンを訪れた。九日間の旅程のうち、行き・帰りの飛行機にまるまる四日間かかるという極めて非効率な旅であったし、何を見たとか(アルゼンチンタンゴはダンス、音楽ともに素晴らしかったが)食べたとかとりたててないものの、ただただ「地球の裏側」に到達できたこと、そのことが感慨深い旅であった。

a, vis et deviens ─行け、生きろ、そして生まれ変われ─

2007/08/01 09:00:00

 つい先日見た、邦題「約束の旅路」という映画のタイトルだ。映画は、エチオピアに生まれたキリスト教徒の少年が、家族を失い最後生き残った母とともに歩いてスーダンの難民キャンプにたどり着き、さらに、生き延びるために、母に命じられて、ユダヤ人だと偽って一人イスラエルへと脱出する。背景には、エチオピアのユダヤ人をイスラエルに移送するという「モーセ作戦」の知られざる史実がある。
 映画の中心は、少年が、自己を偽り、表面的には故国であるはずのイスラエル社会で過酷な黒人差別を受けながらも成長していく過程である。しかし、それ以上に、私を捉えたのは、オリジナルの映画のタイトル「Va, vis et deviens -行け、生きろ、そして生まれ変われ-」である。おそらく一生再会することはできないであろうことを知りながら、母が主人公である息子に向けた言葉だ。どんな状況にあっても、「生き抜く」という思いがこの言葉には込められているように、感じられてならない。

シャピトル・ドゥー ─私の第二章─

2007/01/01 09:00:00

 自宅から歩いて15分ほどのところに「シャピトル・ドゥー」というバーがある。 年に数回行く程度なのだが、何度目かにお店を訪れた際にお店の名前の意味、由来を聞いた。「シャピトル・ドゥー」とはフランス語で「第二章」という意味、バーを開く前は別の仕事をされていた店主であるマスターが、バーを開くにあたり、自分の人生の第二章との思いをこめてつけられたということだった。
 さて、昨年9月に離婚をした(それに伴い名字も変わった)。自分の人生の第二章、自分らしく自然に、綴ってゆけたらと思っている。

絶対謙虚

2006/08/08 09:00:00

 このところ読み漁っている作家「南木佳士」の随筆集の中で見つけた言葉である。
 信州にある総合病院の医師という仕事と作家という2足の草鞋を何年と続けながら、働きざかりの時期に病にかかり一時期は仕事も出来なかったこともある人だ。それだけに、小説も随筆もその中にちりばめられた一言、一言に重みがあり、奥の深い世界を味うことができる。
 どんな時にも、誰に対しても、また、何事に対しても、常に謙虚で在り続ける。確か、そんな文脈で見たはずで、いざ、事務所ニュースを書くにあたりきちんと確認をしようと、読んだ随筆集を端から端まで、何度か開いても見あたらない。
 まるで、狐につままれたかのようである。
 随筆になかったかもしれない言葉を見たと思うことこそ、神様・仏様からの贈りもの、今となっては、謙虚な気持ちで、そんな風に受け止めている。

むかし、井戸を掘りに行きたかった

2006/01/01 09:00:00

 ご存じの方も多いと思うが、今年の夏頃に岩波ブックレットで「憲法を変えて戦争へ行こうという世の中にしないための18人の発言」という冊子が出版された。そのことを知らずに、電車の中で、インテリ風の中年の男性がひょいとこの本を片手に持って、立っていたのを目にしたことがあったが、「憲法を変えて戦争へ行こう」の部分しか見えなかったため、非常にぎょっとして、思わず、その男性を睨み付けそうになった。その後、正式なタイトルを知ってほっとした。
 さて、この冊子、なかなかコンパクトに大事なことが詰まっているのだが、私が一番この冊子を買って良かったことは、この冊子に出てくる「中村哲」さんというお医者さんの話。その経歴の紹介の中で「2000年より、大干ばつに見舞われたアフガニスタンでの水源確保のため、灌漑事業を継続して行っている、著書に『医者井戸を掘る』」という文字を見たことだ。そうそう、むかし(高校から大学にかけて)、私の将来の夢の一つは、途上国で井戸を掘るなり、途上国で役立つ仕事をすることだった。社会人になって、すっからかんに、そんなことを忘れてしまっていたが、中村さんの文書・写真を見て、当時のことが鮮明に甦った。
 体力もなく、土木技術もなく、今の私は、到底井戸を掘ってお役に立つことは出来そうもない。だけど、井戸を掘るつもりで、今、この日本で出来ることは何か、そんな思いが湧いてきた。

「我が輩は……」

2005/01/01 09:00:00

 我が輩は「越後屋」である。
 決して、悪商人ではない。
 上出の家に来て、半年余り、この度、初めての正月上出の家には、自称「越後屋の親分」こと料理好きの主人と、少々ズボラな奥方がいる。
 あ、そう、言い忘れていたが我が輩は猫である。毎日の日課は、家の各部屋にあるゴミ箱を押し倒していくこと。
 上出家での評判は、すこぶる悪いようだが、好きなのだから仕方がない。新年は、少しばかりは上出家に貢献しようかとおもっている。

大きな木

2004/08/01 09:00:00

  自宅から徒歩5分ほどのところに、両親と今年92歳になる祖母が暮らしている。
 実家が商売をしていたことから、私の幼年期は祖母が随分と面倒を見てくれた。元来、元気でしっかりしていた祖母だが、数年前に足を骨折して以来、家の中でもなんとか杖をついて歩いている状態で、外出となれば車椅子が必要である。
 新芽の美しい5月、その祖母を連れて、近くの公園へと散歩に出かけた。初めは実家のすぐそばの公園にちょこっと行って戻ってくるつもりが、天気も良く、祖母も気持ちよさそうにしてくれていたので、少し足を延ばして、地域では「中央公園」と呼ばれている公園まで行った。
 その昔、大きなお屋敷だった跡地が寄付をされて出来た公園は、公園というよりは木が生い茂りちょっとした森のようである。日曜日の午後ということもあってか、子供達で賑わっていた。
 野球をする少年達の邪魔にならぬよう、祖母の車椅子を押しながら公園に入ると、しばらくして、祖母が「おおきな木やな」っと、車椅子から木を見上げながら言った。このところ木の鑑賞が楽しみの一つとなっている私には、とりたてて大きいとは思えなかったものの、「ほんまやね」と相づちを打った。
 その後、公園をゆっくりと一周し、少し大回りをして実家へと戻ったが、帰り道で、ふと、「大きな木」とつぶやいた祖母の脳裏には、何時の時代に、どこで見たどんな木があったのだろうか。大正、昭和、平成という三つの世代を生き抜いた祖母が目にした木々を、自分の中に思い浮かべた。

「植えてみよ」

2004/01/01 09:00:00

   植えて見よ  花の育たぬ里はなし  心からこそ  身は癒しけれ     良寛

 20年近くの付き合いになる友人が書いた文書に引用されていた良寛さんの歌です。
 僧侶でありながら、どの宗派にも入らず、経を読むことも座禅を組むこともなく、何物にもとらわれない自由な心で短歌や長歌等を残した人のようです。
 いろんなことのあった2003年、振り返れば、その時々にこの歌を思い出しては励まされた気がしています。
 どんな地でも花は育つ、そんな思いを心に留め置いて、新たな1年を迎えたいと思っています。

いつかどこかで

2003/07/20 09:00:00

  通りを歩いていると、金髪の女性と栗色の髪をした男性とすれ違った。二人とも背の高い西洋人だった。お互いに目があってしばらくしていると、どちらからともなく、「久しぶりだね」といって、言葉を交わした。
   今はどうしているのかと尋ねると、女性が、「二人でストリートパフォーマンスのようなことをしながら、物を売っている」と答えた。すると、男性が、少し苦笑いをして、「これまでいろいろあったけれど、二人力を合わせてなんとかやっているよ。」と言った。
 「良かったね」と言おうとした瞬間、気づくと、自分はいつもの布団の中だった。
 光の中で見たはずの二人づれの顔は、目が覚めた今は思いだせないが、きっと、いつかどこかで出会ったんだろう。なにより、「これまでいろいろあったけれど、二人力を合わせてなんとかやっている」という心地のよい響きが、まだ、耳元に残っていた。
 ある朝のことである。

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