弁護士 上出恭子の部屋

焼きうどんと・ぜんざい

2011/11/11 11:32:11

随分と秋らしくなりましたが、秋といえばもちろん「食欲の秋!」ですね。
 さて、少し、季節は先になりますが、子供のころの冬はめちゃくちゃに寒くて
 わざと、背中を向けて、後ろ歩きをして家路に向かったころを懐かしく思います
 冬になると、祖母が作ってくれた焼きうどんを思い出します
 今から、30年近く前、焼きそば、当時からメジャーだったと思いますが
 当時は、あまり外で、うどんを食べることはあっても、焼きうどんは稀だったように思います
 白菜に豚肉、そして焼いたうどん、ソースをかけて
 ほふほふ食べる、私の小学校のころの冬の大好物でした

 お正月の三が日、最後の日には、
 あまーい甘いおぜんざい、大正生まれの祖母の味です
 祖母が92歳で亡くなって5年の月日を思いつつです。 

右目と左目

2011/08/25 10:03:29

小学校のころ、2度ほど、クラスの男の子と大げんかをしました。確か、小学校3年の時と、5年か6年の時だったと思います。

 前者の時に、何が理由で喧嘩になったのか記憶は定かでないのですが確か、高学年のころの喧嘩は、私の「鼻」が低いと茶化され小学生なりに憤慨したのが理由だったような気がします。

 子供の頃は完全なる一重で、二重に憧れていたのですがいつの頃からか、左目だけが奥二重になり、睡眠不足または飲み過ぎの時は、くっきり二重になることもあり嬉しかったり、恥ずかしかったりですが、どう考えても一重の母(ちなみに「団子鼻」及び全体は完全に母ゆずりです。)と、くっきり二重の若かったころは実は男前だったかもしれない父の間に生まれた子供としては、両親のパーツ・パーツをもらったのだろうなと 今では、感謝しかありません。

  

「中村哲さん」という人

2011/01/01 15:40:58

 お会いをしたこともなければ、その活動の一端をメディア等で見聞きしたことがあるだけです。アフガン復興支援を進める「ペシャワール会」の現地代表として、アフガニスタンに20年以上にわたり活動をされている医師です。
 医療活動だけでなく、どうすれば現地の人々が暮らしていけるのかという視点から、8年もの年月をかけて全長20数キロの用水路を完成したことが、先日、ドキュメンタリー番組で取り上げられていました。
 日本の技術を用いれば、おそらく、もっと短期間で完成したであろう用水路を、先々の保全・修繕を現地の人だけで行えることをも視野に入れて、現地・アフガンの人々の手で作り上げるという発想、そして、紛争状態下のアフガンで、実行力だけでなく想像を絶する忍耐力が必要とされる事業を成し遂げられたことに心が震えました。   
 ここ数年来、希望の見えてこないこの国に、こんな人がいることを、同じ国に生まれた人間として胸を張りたい気持ちが沸きました。

サミュエル・エトウ

2010/08/01 15:40:37

 少々、大げさだが昨日、生まれて初めて、サッカー・ワールドカップの試合を初めから最後まで見た。日本の初戦である対カメルーン戦である。スポーツは全般に見るのも、自分がするのも縁遠い生活を送ってきた中で、四年に一度の世界のお祭騒ぎは、自分には、全く無関係だった。

 そのきっかけは、たまたまその数日前に、NHKスペシャルでアフリカ・カメルーン出身のエースストライカー「サミュエル・エトウ」選手の特集を見たことだ。彼は、現在イタリア・ミラノのクラブチームに所属しているが、アフリカ出身の代表選手として、今回の大会での公式ポスターのモデルにもなっている。その彼が、インタビューの後半で、「あなたにとってサッカーとは何ですか」と問われて、ほんの一瞬考えるしぐさをしたものの、エトウ選手は「義務だと。」力強く、きっぱりと返答した。とても印象に残る場面だった。

 誰かが自分に「あなたにとって弁護士とは」と問われたら、自分は何と答えるのだろう、そんなことがふと頭をよぎった。

「ピルザタ」さんの国へ

2010/01/01 14:47:08

  「停電の夜に」という短編が代表作の一つで、ピューリッツァー賞等の著明な賞を獲得したインド系作家ジュンパラヒリという人の小説に、「ピルザタさんがきたころ」という話があります。インドからアメリカへ移住した両親を持つ小学生の女の子が主人公で、両親の友人であるピルサタさんが、パキスタンからの独立を求めて内線状態にあった当時の故国・東パキスタンに遺してきた家族を想う姿を見て、主人公が、「大切な人に思いを馳せる」ことを実感していく様子が非常にリアルに描かれています。幼い主人公の想いが読み度にじんわりと伝わって、これまでに何度となく、噛みしめるようにして読んでいます。
 そのピルザタさんのお国である、バングラディッシュにこの夏1週間ほど行ってきました。
 日本の半分くらいの面積に今では日本よりも多い1億数千人以上の人が住み、小学生時代の授業でも世界一の人口密度の高さは、首都ダッカについた数日で実感をさせられました。また、敬虔なイスラム教徒が多くを占め、おそらく、宗教的伝統と文化的習慣から、首都でも商店等で働いているのは9割方が男性でした。そのおかげで、私が道を歩けば、芸能人なみに注目を集め、日本ではなかなか経験できない体験でした。服装も大半の人が未だに伝統的な民族衣装風で、特に、成人した女性に至っては私が見た限りでは、9割方の人が伝統的な衣装でした。 
 南アジアの最貧国の一つで、外から眺めているだけでも多くの人々の暮らしは楽とはいいかねましたが、子供達はとても元気で、ダッカから離れた地方の遺跡見学の折には、再三、子供達から英語で声を掛けられ、挙げ句の果てに、小学校の授業の様子を見にお邪魔をしました(写真は、小学校で先生方と一緒に撮ってもらったものです)。その屈託のない笑顔を見て、この子らが成人するころには、もっと、この国が豊になっていればよいのにと願わずにはいられませんでした。 

蓬莱の豚まん

2009/08/01 14:38:15

今から10年少し前、まだ司法修習生だったころのこと、青年法律家協会(略称:青法協)という法律家団体が編集した本に「弁護士へなりたいあなたへ パート2」というのがあった。その中で紹介をされていた横浜の弁護士さんの記事にインパクトを受けた私は、今思えば、無謀なまた無遠慮なことかと思うのだが、確か、何のつてもないのに、その弁護士さんに、突然、電話をしてお会いしたいとお願いした。そして、実際に、仕事で来阪される折り、大阪でお会いすることが出来た。
 今となっては何のどんなお話をしたのか記憶は定かではないものの、初めてお会いしたのに、瞬くまに時間が過ぎたこと、弁護士さんのエネルギーに圧倒されたことを覚えている。修習生の間にもう一度、お会いする機会を得たのでが、その時には、蓬莱の豚まんを手みやげにお渡した。
 それから、10年お会いできる機会もなく過ぎてしまったが、青法協の全国総会で、同じ事務所に所属される他の弁護士の方とお会いすることがあった。私が、その弁護士さんに修習生時代に会っていただいたことをお話した。10年も前の一修習生のことなど、年間何人もの人と出会う弁護士が覚えてはいらっしゃらないだろうと思っていたら、なんと、その弁護士さんは私の名前をフルネームで覚えてくださっていたようだ。
 恐るべし!記憶力、そして、さすが!大阪の誇るべき味・「蓬莱の豚まん」。
 さて、この4月で弁護士登録をしてまる10年が経った。どれだけ新米のころより成長できたのか全くもって心許ないが、未だに100数十円という廉価で美味しくボリュームがある「蓬莱の豚まん」を思い出して、「蓬莱の豚まん」のような満足度の高い仕事が出来たらと思う今日このごろである。

仕事場

2009/01/01 09:00:00

 今はなくなってしまったが、自宅の裏には祖父の時代に造られた町工場があった。郷里から大阪へ出て雑穀商の奉公人となった祖父は、独立して落花生等の煎り豆の製造業を始めた。祖父母、両親、叔母、そして家族同様に長年働いてくださった従業員の方、みんなで支えた実家の商いの場を、私たちは「工場」ではなく、「仕事場」と呼んでいた。
 私が知っているのは古くて少々くたびれた木造の「仕事場」だったが、「仕事場」という言葉同様暖かみのある場所だった。そこでは、家族や従業員の人が分け隔てなく、まさにともに仕事をする場であったように思う。
 そうでない「職場」での相談を受けることが少なくないなかで、時折、「仕事場」のことを思い描いている。

爪を切る

2008/07/01 09:00:00

 仕事をするようになって、爪が少しのびるとパソコンが極端に打ちにくく感じられ、すぐ、爪を切りたいと思うようになる。今では、事務所の机の横に爪切りを常備しているが、入所当初はなんだか気が引けて、事務所では切りにくかった。家に帰っても、「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」子供のころ聞いた言い伝えが気になって切ることが出来ず、朝出かける前はバタバタと家を出るため爪のことなどすっかり忘れて、また、パソコンの前で振り出しに戻ることが多かった。
 爪のことなど、どうでも良い話だが、先日、実母が手術のため1週間ほど入院することがあった。何十年も前に盲腸で手術をしたくらいしか経験のない人で、しかも、急なことだったから、心配で心配でならなかった。比較的簡単な手術ではあったが、万が一を想うと病院から離れることが躊躇された。幸い、今では元気に暮らしている。
こんなことがあって、今では余計に、爪を夜切ることが出来ずにいる。もうしばらくは、父も母も元気で過ごして欲しいという願いを込めて。

地球の裏側へ

2008/01/01 09:00:00

 もう数年前になるが、「モーターサイクル・ダイアリーズ」という映画を見た。カストロとともにキューバ革命を起こしたチェ・ゲバラが、革命家になるずっと以前に、親友とともに故郷のアルゼンチンからチリ、ペルー、コロンビアといった南米諸国を縦断する様子が描かれている。それまで縁のなかった南米という土地に、この映画で魅了され、いつか必ず訪れてみたいと思っていた。
 そして、この夏、どこへ行きたいだとか、何を見たいだとか考えもせず、とにかくチェ・ゲバラの故郷「地球の裏側」のアルゼンチンを訪れた。九日間の旅程のうち、行き・帰りの飛行機にまるまる四日間かかるという極めて非効率な旅であったし、何を見たとか(アルゼンチンタンゴはダンス、音楽ともに素晴らしかったが)食べたとかとりたててないものの、ただただ「地球の裏側」に到達できたこと、そのことが感慨深い旅であった。

a, vis et deviens ─行け、生きろ、そして生まれ変われ─

2007/08/01 09:00:00

 つい先日見た、邦題「約束の旅路」という映画のタイトルだ。映画は、エチオピアに生まれたキリスト教徒の少年が、家族を失い最後生き残った母とともに歩いてスーダンの難民キャンプにたどり着き、さらに、生き延びるために、母に命じられて、ユダヤ人だと偽って一人イスラエルへと脱出する。背景には、エチオピアのユダヤ人をイスラエルに移送するという「モーセ作戦」の知られざる史実がある。
 映画の中心は、少年が、自己を偽り、表面的には故国であるはずのイスラエル社会で過酷な黒人差別を受けながらも成長していく過程である。しかし、それ以上に、私を捉えたのは、オリジナルの映画のタイトル「Va, vis et deviens -行け、生きろ、そして生まれ変われ-」である。おそらく一生再会することはできないであろうことを知りながら、母が主人公である息子に向けた言葉だ。どんな状況にあっても、「生き抜く」という思いがこの言葉には込められているように、感じられてならない。

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