弁護士 蒲田豊彦の部屋

ジャズはオンザロックで

2010/08/01 14:55:47

 バーボンのオンザロックを飲みながら、ジャズを聴いている。
 曲名は知らないが、聴いたことのあるリズムである。
 シンガーは女性で、ピアノ、ベース、ドラムは男性である。シンガーはハスキーな声で歌っている。
 ここは生のジャズを聞かせるジャズ・バーである。
 この店のことは訊いていたが、やっと店を訪ねる機会を得た。
 「初めてだが」と言うと、「そうは見えません。ゆっくりしてください」と女店主らしい人が舞台を正面にした席に案内してくれた。
 突然、ドラムが高々とその主張を始めた。
 ソロでリズミカルな演奏である。
 ドラマーは、頭はぼさぼさで、髭をたくわえ、ネクタイをした中年男性である。ドラムやシンバルをたたき、心地よい音を繰り出してくる。
 拍手が起こる。なお、ドラムを打ち続ける。
 オンザロックの氷とグラスの触れ合う音も掻き消される。演奏が終ると、一斉に拍手が起こり止らない。
 客と奏者の一体感が生まれる。
 ジャズ・バーではビールよりもバーボンを舐めるように飲みながらジャズに耳を傾けるのがよく似合うと思う。

   建礼門牛車の過ぐる賀茂祭
   随身も葵をかざす祭かな
   供奉の列両社を繋ぐ北祭

山登り

2010/01/01 14:44:16

私は山の仲間たちと月1回のペースで山登りやハイキングを楽しんでいる。グループの名前は「山遊会」と言って仲間たちの投票によって決めた名前であり、なかなかよい名称だと思っている。

60歳後半から70歳前後の人がメンバーの主流で、なかには夫婦で参加する人もいる。ときどき、我が事務所の若手の弁護士が参加すると急に平均年齢が下がったようで、若手だけにその人に人気が集中する。

みんな高齢となってきて、最近は京阪神、奈良、滋賀の低い山を目指すことが多くなってきた。大体500~600メートルぐらいの山である。

山は季節を変えていろいろな表情で私たちを迎えてくれる。

山行きは自然の中に身を置き、一歩一歩頂上を目指して登っていく。

しんどい、しんどいと言いながら登っていく。

そんななかで汗をかき、山のおいしい空気を思い切り吸い込む。苦労して頂上を極めたときは何ともいえない満足感を味わうのである。

そしていつのころからか、下山したら有志で食事会をする。今日登った山を愛でながら仲間とビールで乾杯し、談笑するのは何とも楽しいものである。

2009/08/01 14:28:39

6月11日、高槻の摂津峡に妻と螢を見に行った。子供のころ、螢狩りに行った記憶があるが、その後、本格的に螢を見るのは久しぶりであった。

 夕闇が迫るなかで螢が飛び始めた。

 闇が深くなるにつれて、螢の数がどんどん増えていく。

 やがて何百という螢が川面に沿って湧き上がり乱舞するのである。

 螢火の闇に明減するさまは幻想的で神秘的ですらあった。宮本輝の小説「螢川」のクライマックスのようである。群れの中から離れて、私たちの方に飛んでくる螢を私は素手で容易に捕まえることができた。

 私は捕らえた螢を母親と一緒に螢を見に来ていた幼子の手の指にそっと移してやった。

 幼子の顔が螢に照らされて輝いているように見えた。

   飛ぶ螢かくもたやすく掌に掬ひ
   幼子の指に螢を移しやる

喫茶店と私

2009/01/01 09:00:00

 前もどこかで書いたように思うが、私はコーヒーが好きで、一日5杯ぐらいを楽しむ。
 朝起きて1杯、事務所で1杯、喫茶店で3杯といったところである。
 喫茶店は裁判所の近くや事務所の近くによく行く店がある。
 私は喫茶店で一人のときは、決まってカウンターに座り、手紙を書いたり、起案(訴状や準備書面などを作成すること)をしたりする。これが案外とはかどるのである。
 そうでないときは、大抵は本を読むか、俳句の歳時記(俳句を始めていつも鞄の中にポータブルなやつが入っている)を見ながら俳句を考える。
 俳句は初めて丸6年になる。吟行で見たもの、感動したことや毎日の生活の中で印象に残ったことを17文字で表現する。これがまた大変で、一句詠むのにかなりの苦戦をしいられる。
 喫茶店というところは、お客が混んでいても、隣でおしゃべりをする人がいても、一向に気にならず、私にとっても都会の中のお気に入りの空間となっている。また、ものを考えるにもいい場所である。
 喫茶店では、コーヒー以外はほとんど飲まないが、1日に6杯目となるようなときは、さすがにジュースなど、コーヒー以外の飲み物になるが、私にとって、喫茶店は都会の中のオアシスといった感じで大いに利用している。

日本の労働の在り方

2008/07/01 09:00:00

 格差社会、貧困の問題が大きな社会問題となっている。
 私はその根源の一つに、日本の労働者の雇用形態の問題があると思う。
 臨時社員、社外工、パート労働、契約社員、派遣労働など、いわゆる不安定な雇用形態が日本の労働者の立場としての不安定さ、貧困化を作り出していると思うのである。
 これらの雇用形態は、低賃金政策、労働者使い捨て、景気対策の安全弁、もっと言えば、利潤追求のため、専ら企業や使用者側の都合によって作り出されたものであり、すぐれて人為的なものであり、それらは、国や企業などの体制側の政策に裏打ちされた社会悪である。
 少しの時間だけ働きたい、少しの賃金を得て家計や生活を助けたい、責任のある仕事はしたくないなど、働く側からの要求や希望もあるのだろうが、この要求や都合は、本質的なものではないと思う。
 私は、いやしくも人を雇用する以上、労働させる側は原則として(短時間労働でも)、常用(正社員)とすべきであると考える。これに男女差別を真になくすれば、さらによくなるだろう。これによって、格差社会といわれるものの原因の一つが正されるように思う。
 いまの国民の要求、労働者側の運動は、不安定雇用形態の存在を前提として、その改善を求める(例えば派遣法やパート労働法の改正要求など)といった面が強く、もっと根本的に雇用の在り方を問うべきだと思う。
 資本主義の特徴の一つである持てる者の持たざる者への収奪の制限に少しでも資する雇用の在り方を問うべきであると考えるがいかがでしょうか。 

青い星

2008/01/01 09:00:00

 「かぐや」から撮影した月からの地球の出と入りの映像を見た。
 地球は天体に浮かぶ青い星で名状しがたいほど美しくなぜかいとおしさを感じた。三八万キロの月から地球をハイビジョンカメラで撮影したのは世界で始めてのことである。
 地動説を唱えたコペルニクスや「それでも地球は回っている」と言い続けたガリレオがこの映像を見たらどのようにコメントするだろうか。
 「われに足場を与えよ、されば地球をも動かさん」と言ったアルキメデスに見せたらどのように言うのだろうかと想像すると面白い。
 版図を広げることに狂奔した侵略者チンギス・ハーンやチムールに見せたら自らがやってきたことがいかに意味のないことであったと思い知ることだろう。
 定家や芭蕉にもこの映像を見せてやりたい。
 レトリックに富んだ作風の定家は青い星を和歌に詠むだろうが、芭蕉はなぜか俳句にしないように私は思う。
 私は、茶の間という地球にいながら、月からの青い地球を眺め、不思議な何かトリックにかけられたような感じを受けたが、同時に平和で地球人たちが幸せに生きてほしいと思った。
 素粒子(朝日新聞平成一九年一一月一四日付 夕刊)は「この青い星に、いつの時代も戦争が繰り返され、テロが頻発し、親殺し、子殺しが絶えず」、と述べつつ、
 「と同時にまたこうも思う。このいのち、何をあくせく……」。と書いている。
 しかし、私は青い星を見てもっと前向きに捉え、真摯に生きていきたいと思った。 

更衣(ころもがえ)

2007/08/01 09:00:00

 衣更えとも書くが、更衣は、俳句では夏の季語である。
 中学生や高校生のころ、初夏になると詰襟を脱ぎ、開襟シャツなどに着替えて学校に通ったものである。更衣をすると、身も心も軽やかになった。しかし、そのころは更衣などという言葉も知らず、ただ暑いから開襟シャツに着替えるといった感じだった。
 そもそも、更衣は、先にも述べたように冬から春にかけて着用していた衣類を、初夏のすがすがしい衣類に更えることをいうが、特に日が決まっているわけではない。
 学校などは6月1日を更衣の日と決めているところが多いようである。女学生たちが一斉に黒っぽいセーラー服から、白を基調としたセーラー服に着替えて登下校するさまを見ていると、いかにもすがすがしく、こちらまで軽快な気分になる。
 平安時代の公家は、4月に薄衣(袷)、5月に捻り襲(ねりがさね)、6月に単襲(ひとえがさね)、8月から9月にかけて生織(きおり)の衣や生織の綿入れ、10月から3月まで練絹(ねりぎぬ)を着用していた。江戸時代には、4月に袷、6月に単衣(ひとえ)、7月に帷子(かたびら)を着用する風習があった。源氏物語の葵の巻や明石の巻などにも更衣のことが書かれたりしている。
 源氏物語や平家物語を読むと、人物はいろいろな衣装を纏って登場してくる。「能と装束」と同じように「古典と装束」といった観点で纏めるのも面白いかもしれない。
 とまれ、現在では気候の変化に応じて自由に衣服を更えているが、夏らしい衣服になることは、気分も一新し、軽快な気分を味わうことができる。

妻に届いた手紙

2007/01/01 09:00:00

 妻あてに妻の最も親しくしていた友人から手紙が届いた。
 「前略   この度、長い旅に出ることとなりました。
 思い出をありがとうございました。
 どうぞお健やかに・・・。
         草々
   二〇〇六・吉日」
 妻は、この手紙を認めた友人について、手紙が届く二日前に亡くなったとの知らせを受けていた。
 私たちは、この手紙を読みながら決して長くはなかった彼女の生涯や、二人の子供を亡くするという逆縁に生きた彼女の人生に万感の思いを抱いた。
 彼女は文学が好きで、病気とたたかう娘と自分のことを、「私の娘は七〇センチ」という本に残して逝った。
 私は、私の人生の終焉に当たって、果たして友人に向かって「どうぞお健やかに」と言えるだろうかと自問した。
 私は彼女を直接には知らなかったが、妻から大切な友人として、よく彼女のことを訊いていた。
 いまは、彼女が迷うことなく白道を行ってくれることを祈るばかりである。

「古典をたずねて」と仏教と私と

2006/08/08 09:00:00

 この事務所ニュースに「古典をたずねて」を19回にわたって書いてきた。20回からしばらくの間「歎異抄─他力念仏門を中心に」を書きたいと思っている。このテーマは、このシリーズを始めたときから考えてきたものである。幸いに、私が読んでいる日本古典文学全集に「正法眼蔵随聞記」とともに「歎異抄」が入っており、「古典をたずねて」のコーナーに相応しい。
 私は若い頃から、南禅寺や大徳寺などの立派な寺院を見たり、慈悲に満ちた奈良や京都の仏たちのお姿を拝しながら、この力はどこから来ているのだろうかと思い、仏教に関心を深めていった。少しずつではあるが、仏教関係の本や、高僧の伝記や、仏典を読むなかで仏教に惹かれていった。生業に追われる俗界にあって、些少の知識をもって仏教について語るのは、誠におそれ多いことである。こんな不遜なことでは救われそうにもない。傲慢と思われても仕方がないと思っている。

文章と私

2006/01/01 09:00:00

 私は裁判のための文章や趣味のための文章をよく書く。
 文章で、書き手の意思や考えを読み手に伝えるのは結構難しいことである。
 私は文章を書くとき、次の二つのことを念頭においている。
 一つは、文章の作成に当たって、できるだけ早くから構想を捻り、思いを内面で熟成させ、それが高まったときに一気に書き上げることである。これによって文章が生きたものとなり、読み手に書き手の想いや熱が伝わるように思う。
 もう一つは平易で、わかり易い文章を書くことである。晦渋な文章は読み手を困惑させ、ときには誤解を招く。
 文章も語り言葉も同じく人と人との意思伝達の方法であるが、口頭によるよりも文章による方が説得力があり、思いがよく伝わるときもあるように思う。

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