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人物往来

麻田(あさだ)剛(ごう)立(りゅう)

 私は江戸期の学者や儒者に関心がある。

 このコーナーでそれらの人々を取り上げたい。

 第1回目は日本の天体観測の道を開いた麻田剛立である。

 

 剛立は豊後杵築(きつき)藩(現在の大分県杵築市)の儒者であった(あや)部絧斎(べけいさい)の四男として享保19年(1743)に生れた。

 剛立は勉学家で、独学で天文学と医学を学んだ(幼いころに影の動きから太陽が動いているとして天体に興味をもった)。明和4年(1767)には、杵築藩の御典医にまでなったが、仕事が忙しくて好きな天体観測ができないからと、御典医の地位を捨てて脱藩(明和8年、1771)。このころ(脱藩の)追っ手から免れるため、先祖の出身地である国東郡麻田村にちなんで麻田と名乗った。大坂は本町四丁目(現在の大阪市中央区)に居を構え、医を業としながら、天文学の研究を続けた(剛立は暦学もよくした)。

 漢訳西洋天文書である「崇禎暦書」(筆者は全く読んでいない)をベースに研究し、望遠鏡、反射鏡などの観測装置を改良し、理論を実測で確認した。また、オランダから輸入した初の高倍率のグレゴリー式反射望遠鏡で月の観測もしている。

 杵築時代の宝暦13年(1763)には、「太陽が再び欠ける」と言って、その年の9月1日(旧暦)の日食を予言したり、大坂時代は月のクレーターを見て今では「クレーター・アサダ」と名前がつけられている月のクレーターがあるほどである。安永7年(1778)、8年後に起こる日食を言い当てたりもした。日本最古の月面観測図も作成している。

 また、西洋よりはるかに劣る機器や技術でケプラーの第3法則と同じ法則を独自に発見した(ケプラーの法則とは、①惑星は太陽を焦点として楕円軌道を描く、②太陽から惑星に至る直線は等時間に等面積を描く、③惑星の公転周期の2乗は、太陽から平均距離の3乗に比例する-広辞苑より)。

 剛立は町人科学者であり、弟子として高橋(よし)(とき)、間重富、西村太沖、片山蟠(かたやまばん)(とう)などを育てた。剛立の推薦で高橋至時や(はざま)長涯(ちょうがい)は幕府の天文方に就いている。

 また、日本最初の実測地図を作った伊能(いのう)(ただ)(たか)は剛立の天体観測技術を使うことで、高度な測量を行うことができたと伝えられている。

 剛立は生涯、清貧に生き、生活はつつましく、一介の町医者として寛政11年(1799)5月に65歳で没した。その墓は上町台地(夕陽丘)の有名な(くち)(なわ)坂を登り切ったところの浄春寺にある。

 筆者も天文は好きだが、せいぜい、星座を見て楽しむぐらいで、とても剛立にはかなわない。

 今後、このコーナーもよろしくお願いします。

                                          弁護士 蒲田 豊彦

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