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「過労死110番」の20年と働く人々の「今」

1 「過労死110番」が今年2008年、20周年を迎えた。様々な社会問題について広く電話相談を受け付け、救済を図る「**110番」は多くあるが、過労死110番はもっとも長い歴史を持つ活動になったのではないかと思う。

2 過労死110番は、全国に先駆けて1988年4月、「大阪過労死問題連絡会」が初めて実施した。当時弁護士登録をしてわずか二週間だった私は、松丸正弁護士に誘われて電話相談に参加した。電話に対応する数人の弁護士を取り囲むマスコミのカメラのライトアップとフラッシュ、鳴りやまない電話。受話器の向こう側の「夫が働き過ぎで死んでしまった。無茶苦茶な働き方だったので心配していた。私たち家族はこれからどうしたらいいのか」という、絶叫にも近い訴え。この「原体験」が、私がその後20年間過労死問題に取り組み続けた原点となった。その意味で、過労死110番の20年は、そのまま私の弁護士としての20年でもある。
 この大阪の110番の反響の大きさに触発され、同年6月、全国六か所で「第一回全国一斉過労死110番」が行われ、同年10月、「過労死弁護団全国連絡会議」が結成。以後、毎年一回、父の日の前日の6月の第三土曜日の「全国一斉過労死110番」をはじめとする過労死の救済・予防の活動が続けられてきた。
 私は95年から大阪過労死問題連絡会の事務局長、99年から過労死弁護団全国連絡会議の事務局次長を務めさせていただき、私なりに全力でこの問題に取り組んできた。

3 20年間と言ってしまえばそれまでだが、思えばこの間本当にいろいろなことがあった。過労死の激増と行政の認定基準の二度にわたる改定、過労自殺の激増と認定基準(判断指針)の制定、会社が従業員に保険をかけ死亡したら保険金を受け取る団体定期保険問題も一時大きな問題となった。
 私たちの取り組みもあって、当初年間30件前後だった過労死の労災認定件数は、07年には10倍以上の398件に激増し、99年までほとんどゼロに近かった過労自殺の労災認定も、08年には81件になった。
 また、労基署の不認定処分の取消しを求める行政訴訟や、過労死・過労自殺させた会社の責任を追及する損害賠償請求訴訟も激増した。2000年3月に出された「企業は労働者に過労死するような仕事をさせてはならず、過労死の損害賠償責任を負う」とする歴史的な電通事件最高裁判決は、その大きな節目となった。
 さらに、大阪では01年、独自に過労死の予防を目的とする「労働基準オンブズマン」を結成し、過労死させた企業に対する刑事告発、サービス残業についての労基署への違反通告などの活動も積極的に行ってきた。

4 しかし、それでも過労死は減るどころか、ますます増え続けている。とりわけここ数年の20代、30代の過労自殺の激増には、目を覆うものがある。その背景には、リストラによる正社員の減少と雇用不安、労働基準法や労働者派遣法などの法律の改悪による労働分野の「規制緩和」、非正規雇用の増大による正社員への責任の集中、労働組合の組織率の低下と弱体化などが挙げられる。年収400万円以上の労働者を労働時間の規制から外す「ホワイトカラー・エグゼンプション」制度の導入は、世論の反対もあり押し止められているが、「名ばかり管理職」に表れているように、働く現場ではそれに近い実態が蔓延している。
 雇用保障・社会保険・公的扶助という社会のセーフティネットがどんどん崩されている中で、「ワーキングプア」に転落したくなければ、とにかく会社の求めるままに「働かざるを得ない」のである。
 それでもまだ、「過労死は労働者の自己責任」と言い放つ会社社長が労働政策審議会の分科会委員となり、日本経団連の会長を出しているキャノンが「偽装請負」で摘発されていることは、日本の財界や労働行政が世界に恥ずべきレベルにあることを物語っている。

5 いつの間に、日本は労働者をこれほど大事にしない国になってしまったのか。担当する一つ一つの過労死・過労自殺事件で、亡くなった労働者のまじめさと責任感の強さ、亡くなるに至る悲惨な過程を見るとき、過労死をなくす取り組みは、労働者の人間としての尊厳と生存権を回復する闘いでもあると痛感する。これからも、微力ながらこの問題に力を尽くしていきたい。
 

弁護士 岩城 穣

あべの総合法律事務所ニュース いずみ第24号(2008/7/1発行)より転載

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