事務所ニュース「いずみ」

古典をたずねて

伊勢物語

第六九段
 先般、旭屋書店の梅田店に立寄った。古典のコーナーで岩佐美代子氏の「内親王ものがたり」(岩波書店)を見つけて買い求めてきた。この本には歌の詠み手として有名な大伯内親王や式子内親王のほか恬子内親王のことも書かれていた。
 私はこの本に触発されてかつてこのシリーズで「筒井筒」と題して取り上げた伊勢物語をもう一度書いてみたい。

 伊勢物語は在原業平を主人公とする歌物語としてあまりにも有名である。伊勢物語は初段から一二五段まであるが一段一段が短かく文章に省略があり、全編は決して長いものではないが意味深長で理解するのはなかなか難しい。
 その六九段が業平と恬子内親王の悲恋の物語になっている。

 恬子は文徳天皇(第55代)の皇女でその母は業平が仕えた惟喬親王の生母であり、業平の妻紀有常女は恬子の従姉に当たる。恬子は清和天皇(第56代)の貞観元年(859年)12歳で斎宮に卜定される(斎宮とは伊勢神宮に奉仕する皇女で天皇の名代として天皇の即位ごとに未婚の内親王や女王が選ばれる。他方、上賀茂神社に奉仕する内親王は斎院という)。
 二人の出会いは次のとおりである。

「昔男ありけり。その男、伊勢の国に狩の使にいきけるに、かの伊勢の斎宮なりける人の親『常の使よりは、この人よくいたわれ』と言ひやれ……朝には狩にいだし立ててやり、夕さりはかへりつつそこに来させけり。かくてねむごろにいたづきけり」
(いつものお使いよりはこの人を丁寧にもてなしなさいと言われて、朝は狩りに出してやり夕方、帰ってくれば自分の御殿で応接し丁重に扱った)。

 恋愛経験豊かな業平ではあったが恬子に惹かれ、恬子も同様に業平に惹かれる。
 業平の滞在は短期間。高貴で神に仕え常に女官にそば近くに仕えられている恬子に二人だけで直接逢えない業平。二日目の夜、男は「われて逢はむ」(是非とも逢いたい)。女も「いと逢はじとも思へらず」(絶対に逢うまいとも思っていない)。  そんな中で恬子は人が寝静まって子一つばかり(午前〇時ごろ)に男のもとにやって来る。女は丑三つ(午前3時)までいて満足に話すことができないまま帰っていく。

女  君や来し我や行きけむおもほえず
    夢かうつつか寝てかさめてか

(あなたが来られたのか、それとも私の方から行ったのか、よくわかりません。あれは夢だったのでしょうか、それとも現実だったのでしょうか。眠っていたのでしょうか、目ざめていたのでしょうか。)

男  かきくらす心の闇にまどひにき
    夢うつつとはこよひ定めよ

(涙に目もくれ、心も闇にまようような状態で、何も分別がつきません。あれが夢であったか、現実であったか今晩確かめてください。)

 しかし二人は、男が国の守や斎宮の守と一晩中酒を飲み交さなければならなかったことから、再び逢瀬を果たすことはできず、男は次の日に尾張の国に行ってしまった。
 業平と恬子が肉体的に契ったかどうかについては伊勢物語では定かでない。神に仕える斎宮であった恬子の立場を慮ったのであろうか。
 ただ噂話であるが、恬子がこのときの逢瀬で懐妊しその子は秘密のうちに高階茂範の子として高階師尚と名乗り、後の藤原道隆の子定子や孫の敦康親王(定子の子)にまで繋がっているという。
 この点、真偽のほどは不明とされるが興味をひく話としてここに紹介する。
 なお、付言すると業平も元を辿れば桓武天皇(第50代)にさかのぼる貴族の出身である。

あべの総合法律事務所ニュース いずみ第17号(2004/8/1発行)より転載

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