事務所ニュース「いずみ」

古典をたずねて

方丈記

  方丈記は日本の古典文学のなかでも、平家物語や徒然草とならんで屈指の名文で始まる。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまるためしなし。世の中にある人と栖とまたかくのごとし」。

 この名文を諳んじている方も多いと思う。
 このような無常観は、中世初頭にみなぎっていたものであり、この巻頭の無常観の表白は同時代人に広く受け入れたものと思う。
 方丈記の作者鴨長明は、随筆作家であるとともに歌人であり、音楽家でもあった。
 「新古今和歌集」には、10首が入集し、琵琶もよくし、方丈記にも「和歌管弦、往生要集ごときの抄物を入れたり。かたはらに琴、琵琶おのおの一張を立つ」と記されているところである。
 方丈記長明は国初以来の鴨氏の一族の末裔で、父親は河合社の禰宜(神官)であり、その次男として仁平3年(1153年、なお1155年生まれという説もある)に生まれた。
 長明は、貴族の出身として貴族社会から武家社会へ、古代から中世へと激動する時代に生き、保元の乱や平治の乱など武家である平氏や源氏が抬頭してくるのを目のあたりにした。
 長明は後鳥羽上皇の推薦したいとの意向にもかかわらず、河合社の禰宜にはなれず、また、鎌倉幕府の三代将軍実朝の和歌の師となることについて、藤原定家と競争し敗れたことなどから50歳の春に出家遁世し、京都の大原や日野(京都の南東で宇治に近い)に隠棲した。
 新古今集にある長明の次の歌をみると、禰宜になれなかったことが、いかにショックであったかがわかる。

見ればまづいとど涙ぞもろかずらいかに契りてかけ離れけん

(諸葛を見ると、いよいよ涙がもろくこぼれることだ。前世からのどのような約束事で、このように神社とかけ離れたのだろうか)

 方丈記は、400字詰原稿用紙に20枚ほどの分量であり、文章家の長明にすれば、一晩か二晩で書いただろうと言われている。
 長明には武家に対する反発があり、方丈記には自らが見たり聞いたりした保元の乱や平治の乱など、戦さのことは一切書かれていない。
 方丈記に書かれていることは、小学館の日本古典文学全集「方丈記」の各章の小見出しで見ていくと、「ゆく河」「安元の大火」「辻風」「都遷り」「飢渇」「大地震」「世にしたがえば」「わが過去」「方丈」「境涯」「閑居の気味」「みずから心に問う」などとなっており、天変地異を中心として、これらの天災から逃げまどう人々や、人々が受けた災難などについて淡々と書き綴っていくのである。
 方丈記は「私の文学」として逃避的、消極的な態度で無常観をもって描かれている随筆である。
 なお、長明には、歌道随筆といわれる「無名抄」や仏教説話集である「発心集」などの編著がある。

【参照】
 日本古典文学全集 「方丈記」小学館
 日本古典文学全集 「平家物語一、二」 小学館
 日本古典文学全集 「新古今和歌集」小学館
 日本の古典を見る 「方丈記一、二」 世界文化社

あべの総合法律事務所ニュース いずみ第16号(2004/1/1発行)より転載

ページの先頭へ戻る