事務所ニュース「いずみ」

古典をたずねて

平家物語(その四)

 仁和寺仁王門 今回は前々回の忠度(ただのり)と前回の敦盛(あつもり)に続いて琵琶の名手経正(つねまさ)について書いてみたい。
 京都の御室(おむろ)に徒然草などにも登場してくる真言宗御室派の総本山仁和寺(にんなじ)がある。仁和寺は皇子皇孫が門跡となってきたいわゆる門跡寺院である。
 今回はこの仁和寺が舞台である。
 平経盛の嫡子、皇后宮亮(こうごうぐうのすけ)経正は、幼少のころ仁和寺の御室の御所に稚児姿で仕えていた。経正は仁明(にんみょう)天皇のときに唐から将来された三つの名器の琵琶のうちの一つである青山(せいざん)を村上天皇から御室を経て頂り下された。
 経正は17歳のときに大分県の宇佐八幡宮への勅使を命ぜられるが、拝領した青山を持って行き秘曲を弾いたところ、宮人らは感動して袖をぬらさぬ者はいなかった。聞いてわからぬ奴(やっこ)まで村雨の音とまちがえるほど素晴らしいものであった。
 経正は都落ちするとき御室の門前にまいり「一門運尽きて今日既に帝都を罷出(まかりい)で候(そうらう)」。「甲胃(かっちゅう)をよろひ弓箭(きゅうぜん)を帯し、あらぬ様(さま)(あってはならないさま)なるよそほひに罷りなって候えは憚(はばかり)の存じ候」と申し入れる。御室はかわいそうに思って「ただ其すがたを改めずして参れ」と言われる。
 経正は紫地の錦の直垂(ひたたれ)に萌黄匂(よもぎにおい)の鎧(よろい)を着て、「先年お預りしました青山を持ってまいりました。これほどの名器を田舎の塵(ちり)としてしまうのは残念です。もしひょっとして都に帰ったらまた預りましよう」と泣きながら申し上げる。
 御室はかわいそうに思って経正に一首を与える。

あかずしてわかるる君が名残(なごり)をば
    のちのかたみにつつみてぞおく

 経正は覗(すずり)を拝借し

くれ竹のかけひの水はかはれども
    なほすみあかぬみやの中(うち)かな

(この御所の中の呉竹の寛(かけい)の水の流れるように世は遷り変わったけれども、やはりこの宮の中の住み飽きることのない私の気持ちは変わらない)
 と歌って別れを告げたが稚児や坊官や侍僧らは経正の袂(たもと)にすがって涙を流さない者はなかった。
 この経正も一ノ谷の合戦で助け舟に乗ろうと波打ち際の方に逃げたが河越小太郎重房(かわごえのこたろうしげふさ)(武蔵国の人)の手勢に取り囲まれて討死した。
 仁和寺本坊表門

 これで当初予定していた忠度、敦盛、経正の記述を終えるが、予定を変更して次回以降、平家物語に登場する何人かの女性(祇王〔ぎおう〕、小督〔おごう〕、小宰相〔こざいしょう〕ら)を取り上げてみたい。

あべの総合法律事務所ニュース いずみ第12号(2001/9/1発行)より転載

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