事務所ニュース「いずみ」

古典をたずねて

平家物語(その三)

 平家物語(その三) 平敦盛(あつもり)は忠盛(ただもり)の二男経盛(つねもり)の第三子である。従五位下の無官大夫(むかんのだいふ)であった。
 寿永3年、義経軍に一ノ谷の合戦で敗れ、平家一族は舟に乗って逃れたが、練貫(ねりぬき)に鶴の模様を刺繍した直垂(ひたたれ)に萌黄匂(よもぎにおい)の鎧を着て、鍬形(くわがた)の甲にこがねづくりの太刃を腰に差し、矢を負い、弓を持って馬に乗った武者一騎が沖の舟を目ざして海にざっと乗り入れた。
 それを見た熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)は「あれは大将軍とこそ見参らせ候へ。まさなうも(卑怯にも)敵(かたき)にうしろを見せさせ給ふものかな。かへさせ給へ」と扇をあげて招くとその武者は引き返してきた。
 直実は波打ち際で馬を並べてむんずと組んで馬から落ち武者の首をかこうとする。しかし、よく見ると武者は16、7歳ほどの若者で薄化粧をして歯を黒く染めている。武者は自分の息子小次郎ほどの年であり非常に美男であり、直実はどこに刀を刺してよいかもわからない。
 直実は「名のらせ給へ。たすけ参らせん」と言う。武者は「なんぢがためにはよい敵ぞ。名のらずとも頸(くび)をとって人に問へ。見知らうずるぞ(自分を見知っているだろうよ)」と言う。熊谷は「あっぱれな大将軍だ。あゝお助け申したい」と思ってうしろを見ると50騎ほどの味方がやって来る。
 そこでやむなく熊谷は「他の者の手におかけするより同じことならば直実の手におかけして後の供養をいたしましょう」と言って泣く泣く首を斬った。武者の腰には錦の袋に入れた笛が差されていた。熊谷は戦陣に笛を持っている優雅さを感じとる。直実はわが子と同じくらいの青年の首を斬らなければならなかったことから武門に生まれたことを嘆く。
 後に聞けば、武者は生年17の敦盛だという。この笛は忠盛が鳥羽院から賜り経盛が相伝して笛の名手敦盛にもたせたものであり「小枝(さえだ)」であった。熊谷直実は無常観の極みのなかで、出家の志を強め8年後には法然上人に師事して仏門に入った。法名を蓮生(れんしょう)法師と称した。
 京都黒谷の金戒光明寺には敦盛と直実の供養塔が並んで立っている。

敦盛の供養塔と筆者参照文献
 日本古典文学全集 平家物語二(小学館)
 平家絵巻 奈良本辰也外書(徳間文庫)
 奥津城-黒谷に眠る人びと- 北川敏於著

あべの総合法律事務所ニュース いずみ第11号(2000/9/10発行)より転載

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