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古典をたずねて

建礼門院右京大夫集(その二)

 右京大夫は三蹟の一人として有名な藤原行成(ふじわらのなりゆき)の後裔で能書家であった世尊寺伊行(せそんじこれゆき)を父とし、笛で代々名をはせた大神(おおがみ)家の出自で筝(そう)の名手として古今著聞集(ここんちょもんじゅう)にも登場している夕霧(ゆうぎり)を母として生れた。伊行は源氏物語の注釈書を著したり、伊勢物語を研究するなど学芸に才能を発揮した人であり、右京大夫は両親からすぐれた文芸や音楽の天稟(てんぴん)を引き継いだのである。
 ある月明かりの夜、笛が上手であった高倉天皇が吹く笛の音色が余りにも美しかったので、右京大夫が褒めたところ、中宮が天皇に「かたくなはしきほどなる」(開いていられないほどの褒めようです)と伝えると天皇が「それはそら事を申すぞ」(右京大夫は嘘をいっているのだ)といった。そこで、右京大夫は

さもこそは数ならずとも一すぢに
    心をさへもなきになすかな・・・

建礼門院右京大夫集(その二) (それは身分も低く物の数でもない私ですが真実お褒め申し上げた 心まで全く無視なさいますこと。 糸賀きみ江氏訳)

 とむきになって反論したり、琵琶引きの名手であった頭中将(とうのちゅうじょう)藤原実宗(さねむね)から「琴ひけ」と合奏を誘われ「ことざましにてこそ」(興ざめでしよう)と逃げたりしているがこの辺りの件りは右京大夫に天分があったことを物語っていると思う。
 随所に宮廷生活の場面が出てくるが、ある春の日に「つぼめる色の紅梅の御衣(おんぞ)、樺桜(かばざくら)の御表着、柳の御小袿(おんこうちぎ)、赤色の御唐衣、みな桜を織りたる召したりし」と中宮徳子の典雅な姿を右京大夫の目で見たままに書き残してくれている。
 また、平家の公達(きんだち)である維盛(これもり)、重衡(しげひら)、忠度(ただのり)、経正(つねまさ)、などとの親交や歌の贈答も生き生きと書かれている。
 有名な富士川のたたかいや倶梨迦羅(くりから)峠でのたたかいで敗者となった維盛(清盛、重盛と続く平家の正統の後継者)について、右京大夫は賀茂の祭りの日に「警固(けいご)の姿、まことに絵物語いひたてたるやうにうつくしく見え」と述べ、頭中将実宗が「うらやまし、見と見る人のいかばかり、なべてあふひを心かくらむ」(羨ましいことだ、維盛を見る女性という女性は誰も恋人になれる日をどれほどひそかに願っていることか、糸賀氏訳) と歌って右京大夫に「あなたもそうでしょう」と問いかけたのに対し右京大夫は

なかなかに花の姿は よそに見て
    あふひとまでは かけじとぞ恩ふ

(花のようなお姿は、手の届かぬものと自分にいい聞かせて、なまじっか恋人になりたいなど願うまいと思います。糸賀氏訳)

 と応えるのである。
 また右京大夫は維盛入水(じゅすい)を聞き、維盛が後白河法皇の50歳の御賀のとき、青海波(せいかいは)(舞楽の曲名で二人で舞う)を舞ったときのことを「光源氏のためしも思ひ出でらるる」と回想する。
 また、春の頃、西八条(今のJR京都駅の西方に位置する)の清盛別邸に中宮を迎えた折に、平家の一門が集った宴の追憶の場面で「みんなで歌を書こう」といわれて「歌もえよまぬ者はいかに」(自分のように歌など詠めない者はどうしよう)と困惑している維盛は平家物語には見られない維盛像である。
 ここでは維盛が登場する場面を中心に紹介したが他の平家の公達との交流も女房右京大夫の日から見たままに記述されており、生きている歴史上の人物を目のあたりに感じさせてくれるのである。
 次回は、藤原定家とのことや資盛に次ぐもう一人の恋人藤原隆信との関係を述べて完結としたい。

あべの総合法律事務所ニュース いずみ第4号(1996/10/18発行)より転載

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