事務所ニュース「いずみ」

古典をたずねて

伊勢物語六九段

伊勢斎宮 君や来し我や行きけむ(六九段)

 これは伊勢物語の有名な段でこの段を中心とする伊勢の斎宮関係の諸段(六九~七五段)は二条后(清和天皇の后で藤原高子のこと)関係の諸段(四~六段)とともに伊勢物語の二本柱となっている。
 六九段の物語はこうである。
 男(業平)が伊勢の国に狩の使い(朝廷の用に供する鳥獣の狩猟に遣わされた使者)に行ったとき伊勢の斎宮(文徳天皇の女恬子内親王)の親(恬子は紀静子を母とする。静子は業平の妻の伯母にあたる)から「常の使ひよりはこの人よくいたはれ(普通の人よりはよくねぎらいなさい)」と言われ、自分の屋敷に泊め狩に出かける世話をし労をねぎらうなどの処遇をした。二日目の夜、男は「是非逢いたい」と言った。女(恬子)も絶対に逢わないとも思わなかった。男は狩の正使だったので女の閨の近くに泊った。女は人の寝静まって「子一つばかりに(午前零時ごろ)」童を先に立てて男のもとに来た。男は嬉しくて自分の寝ているところに招じ入れ「丑三つ(午前三時ころ)」まで女を居させたが何ごとも話さないうちに女はかえっていった。男は女のことが気になるがこちらから使いをやる立場ではなく女からの使いを待っていると明け方に女より歌が届いた。
 君や来し我や行きけむおもほえず
 夢かうつつか寝てかさめてか
(あなたが来られたのか、それとも私が行ったのかよくわかりません。あれは夢だったのか、それとも現実だったのでしょうか。眠っていたのでしょうか。目ざめていたのでしょうか。)
男は
かきくらす心の闇のまどひにき
夢うつつとはこよひ定めよ
(涙に目もくれ、心も闇にまようような状態で、何も分別がつきません。あれが夢だったのか、現実のことだったのかは今晩たしかめて下さい)
と詠んで狩に出かけて行った。
(現代語訳は新潮社日本古典集成伊勢物語、渡辺実)。
 男は野を歩いていても心はうわの空である。今晩こそはと思う。だが、男は斎宮の守から一晩中の酒宴を受け、再び女と逢うことができなかった。
 女は
 かち人の渡れどぬれぬえにしあれば(徒歩の人が渡っても、ぬれない浅い入江ですから)
と上の句だけを認めた。
 男は下の句として
 また逢坂の関は越えなむ
と応えついに女と逢うこともなく尾張の国へ出発して行ったのであった。
 この物語は清和天皇の御代(在位858~876)のことである。
業平と恬子は果して契りを結んだのだろうか。物語でははっきりしない。しかし、深夜に三時間も一緒にいたのであり一夜かぎりの契りを持ったと詠むのが自然だと思う(前場書、渡辺実)。
 噂話として恬子は神に仕える斎宮の身で懐妊し生れた子が高階師尚でありその後藤原道隆の孫敦康親王(定子の子)がこの師尚の血を継いでいるといわれ、そのため敦康親王は天皇になれなかったというのである。
 他方、神に仕える斎宮恬子には過ちはなかったと読む意見もある。

あべの総合法律事務所ニュース いずみ第44号(2018/8/1発行)より転載

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