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古典をたずねて

丹後国風土記(その一)

 一、風土記は七一三年(和銅六年)元明天皇(四三代の天皇で女帝)の詔によって諸国(約六〇余國)に編纂させた地誌である。朝廷への解文(報告書)の形で作られている(本来は風土記の名称ではなく後年風土記といわれるようになった)。古事記が完成し(七一三年)日本書紀が完成(七二〇年)したころである。
 風土記に書いてほしいという要求項目は次の五つである。
  (一)幾内七道(都の近辺と主要幹線道路、つまり日本全国)の国名、都名、郷名に好い字をつけよ。
 (二)郡内に産する鉱物・植物・動物などで有用なものの品名を筆録せよ。
  (三)土地の肥沃状態。
  (四)山川原野の名の由来。
  (五)古老の代々伝えてきた旧聞異事。 について「史籍に記載して言上せよ」ということであった。
 風土記は中央の朝廷が地方を統治していくために資するものとして作られたものと思う。
 完全本は「出雲国風土記」だけであり、一部欠けているものとして「常陸国風土記」「播磨国風土記」「肥前国風土記」「豊後国風土記」が今日残されている。
 ほかに「逸文」として約五〇の風土記が残されている。
 逸文とは原本が散逸してしまい、元の姿では伝来していない文献で、他の本に引用されることによってその散逸部分が復元できる文章のことである。例えば今回取り上げる丹後国風土記は「釈日本紀―卜部懐賢著で鎌倉末期に成立」に載っている。
  二、六四六年(大化二年)幾内に丹波国が置かれ、六八四年(白鳳一三年)丹波国を割って但馬国が置かれ、さらに七一三年(和銅六年)丹波国を再度割って丹後国が置かれた。加佐、与謝、丹波(のち中となる)、竹野、熊野の五郡を置いた。いまの宮津市、京丹後市、舞鶴市、岩滝町、伊根町、野田川町などである。
丹後国風土記の逸文として「天の椅立久志浜」、「筒川の興子=浦島子物語」、比治の「奈具社=いわゆる天女伝説」の三つがある。 浦島太郎の物語、羽衣伝説は特に有名である。  紙幅のうえで浦島太郎物語や天女伝説の紹介は次回になり申し訳ない。
 私は丹後(京丹後市)の出身なので丹後国風土記に関心があり今回この一文で取り上げさせていただくものである。
 参考文献は「小学館日本古典文学全集風土記」「小学館日本歴史大辞典」である。

あべの総合法律事務所ニュース いずみ第42号(2017/8/1)より転載

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