事務所ニュース「いずみ」

古典をたずねて

歌 垣 (その2)

歌垣の日、男と女は

筑波の男神と女神になる

 常陸国風土記は「筑波の郡」のくだりで嬥歌(歌垣)について、次のように書いている(原文は漢文であり和文になおしてもなお難しいのでここでは現代語訳で紹介する。)

  「その筑波の岳は高く雲に抜きんでて聳えている。頂きの西の峰は険しく高く、雄の神と言って誰も登らせない。東の峰は四方に岩石があるけれども、登り降る人が限りなく多い。その側の泉は冬も夏も絶えず流れている。・・・諸国の男も女も春の花の開く時・・・・手をとりあい連なって、飲食物を持って、馬に乗ったり歩いたりして登り楽しみ憩うのである。

 彼らの歌う歌に次のものがある。

  筑波嶺に逢はむと言ひし子は誰が言聞けばか嶺逢はずけむ

(歌垣の夜に筑波嶺で逢いましょうと言ったあの子は誰の言葉を聞いたから嶺で逢ってくれなかったのだろうか)

  筑波嶺に廬りて妻なしに我が寝む夜ろははやも明けぬかも

 (筑波嶺に廬を結んで歌垣の夜だと言うのに共に寝る恋人もなくひとり寝する夜は早く明けてしまってくれないかなあ)

 歌われる歌はとても多くて全部載せることができない。

 土地の言いならわしでは「筑波山の歌垣に、求婚の贈り物をもらわないと一人前の男女とみなさない」と言っている(小学館「風土記」三六二頁以下)。

 これらは妻問いに失敗した男女をからかっているのではなく、むしろ男と女は歌垣の場では性的に結ばれなくてはならないことを言いあらわしていると思われる。なぜなら、先号でも述べたように歌垣は一種の豊穣儀礼であったのだから(井上辰雄著「常陸国風土記による古代」)。

 この「風土記」での歌垣は、親神が新嘗の折に筑波山に巡行され、

  「人民集ひ賀ぎ飲食富豊く代々に絶ゆる無く日に日に弥栄え千秋万歳に遊楽窮らじ」

 (人民はこの神の山に登り集まって賀し飲食物は豊かにわが神と我が一族はどんな時代になってもいついつまでも絶えず日ましにいよいよ栄え千年万年も遊楽は尽きないであろう)(前掲風土記三六二頁)。

 と寿ぎの歌を歌っているのはこの歌垣の集いも本来的に神祭りであり、神々の遊楽を擬したものと考えられているのだろう。嬥歌の祭りの日だけ男と女は筑波の男神と女神になり代るのである(前掲井上辰雄著より)。

あべの総合法律事務所ニュース より転載

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