事務所ニュース「いずみ」

古典をたずねて

歌 垣 その一

 歌垣とは古代に行われた民間行事の一つであり、多数の男女が特定の日、特定の場所に集って飲食し歌舞し性的関係を持つといった習俗であった(歌垣のことを嬥歌(かがい)とも言う)。  

 その年の春に豊穣を予祝し、共同体(村)全体で行う「春山(はるやま)入(い)り」の一環をなす行事であった。  

 この春山入りは①国見、花見②青菜摘み、柴刈り③共同飲食④歌舞⑤性的解放をその内容とするものであった。このうち、③④⑤が盛んなほど豊作になると考えられていた(小学館 日本歴史大事典より)。また、大勢の人々が集まって歌舞などで大地を踏みしめたりすると、その年は豊作になると考えられていたようである。  

 歌垣が行われる場所は、山の高み、野、市の広場などであり、歌垣に参加するのは若い男女が多かったが、なかには既婚の夫婦も参加し、他の相手を見つけて性的関係を持つこともあったようである。  

 性的関係を持つには女性の同意が必要であり、女性はいやな相手を拒否することができたようである。  

 また、相手が見つからず「あぶれ男」もあったようである(次回、万葉集の歌垣の歌で紹介する)。  

 このように、歌垣は男女の見合いの場や結婚相手を見つける場にもなっていたのである。

 歌垣が行われたところとして有名なのは、常陸(ひたちの)国(くに)(いまの茨城県つくば市)の筑波山(つくばやま)、摂津国(いまの大阪府能勢町)の歌垣山、肥前(ひぜんの)国(くに)(いまの佐賀県白石市)の杵島山(きしまやま)、大和国(やまとのくに)の海(つ)石榴(ばい)市(ち)(いまの山辺(やまのべ)の道の金屋(かなや)附近)、そして軽(かる)(いまの橿原市)などである。

 右のうちの筑波山、歌垣山、杵島山は、日本三大歌垣と言われ、いま名山復権が行われようとしている。三大歌垣をもって歌垣サミットが開催されているのである(第一回は平成五年能勢で行われた)。

 歌垣のことは、古事記や日本書紀、あるいは風土記や万葉集にもその様子などが採り挙げられている。

 古事記(七一二年元明(げんめい)天皇の時代に成立)の清(せい)寧(ねい)天皇(二二代の天皇で五世紀後半)の条(くだ)りで「・・・歌垣に立ちてその袁祁(おけの)命(みこと)の婚(よば)はむとし美人(おとめ)の手を取りき」「ここに袁祁命もまた歌垣に立ちたまひき」とあり、また、日本書紀(七二〇年元正(げんしょう)天皇の在位のときに成立)の武烈(ぶれつ)天皇(二五代天皇で五世紀後半)の条りにも「果して期(ちぎ)りし所に之(ゆ)きて、歌場(うたがき)の衆(ひとなか)に立たして『歌場此をば宇(う)多我(たが)岐(き)と云ふ』・・・」とある。

 このように歌垣は遅くとも五世紀終わりころには各地で行われていたのである。

 次回は風土記や万葉集(髙橋虫麻呂の歌)に書かれている歌垣のことについて述べたい。

 豊穣をうらなう歌垣の出逢い  

あべの総合法律事務所ニュース より転載

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