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古典をたずねて

俊成卿女と宮内卿 その二

 二人の歌を鑑賞しよう。

 宮内卿

 かき暗れしなほふるさとの雪のうちに跡こそ見えね春は来にけり

(新古今集・春上・四・老若五十首歌合)

 空を暗くしてやはりまだ待っている人を訪ねてくれない古里の雪の中に跡ははっきり見えないが春は来たことだ。

 この歌は、新古今集・春上・四として、巻頭から四番目の高位に配されている。  

 一番は摂政太政大臣良経、二番は太上天皇(後鳥羽院)、三番は式子内親王(後白河院の第三皇女、賀茂の斎院で忍ぶ恋の歌の名手といわれる)、五番が皇太后宮大夫俊成、七番は西行法師である。

 後鳥羽院の歌の師の俊成よりも上位につけられており、後鳥羽院が若い宮内卿をいかに重要な歌人とみていたかが窺える。  

 因みに右の五人はいずれも定家によって選出された百人一首に入集している。みなさんも百人一首を繙いてみて下さい。  

 薄く濃き野辺の緑の若草に跡まで見ゆる雪のむら消え  

(新古今集・春上・七六・千五百番歌合)  

 あるところは薄く、あるところは濃い野辺の緑の若草の上に、薄いところは遅く消え、濃いところは早く消えたという跡まで見える雪のまだら消えよ。

 細かい観察にもとづいた巧みな歌で、絵画的感覚が冴えた歌である。  知的聡明さが窺える(近藤香)。宮内卿はこの歌で「若草の宮内卿」と呼ばれるようになった。

 聞くやいかにうはの空なる風だにも 松に音するならひありとは

(新古今集・恋・三・一一九九・水無瀬殿恋五十首歌合)

 お聞きですか。上の空を吹く落ち着かない風でさえも「待つ」という名の松に訪れて音をたてる習わしがあるということは。

 作家の丸谷才一によれば、この歌について契沖は 「第一句『聞くやいかに』は世評はすこぶる高いが、人を理屈っぽくとっちめる口調で厭味だし女の歌としてはなほさら感心しない」  といったらしい。  

 しかし、王朝の人々は、女は才智の限りを盡くして気のきいたことを言うのが最も美しいとして、後鳥羽院などは、宮廷では宮内卿を高い位置につけていた(近藤香)。  

 この歌は宮内卿の才覚や機知が発揮された秀歌だと思う。

 俊成卿女

 風通ふ寝覚めの袖の花の香に かをる枕の春の夜の夢  

(新古今集・春下・一一二・千五百番歌合)  

 風が吹き通ってきて、ふと寝覚めた私の袖が風の運んできた桜の香でかおりっており、枕も香っている。この枕で今まで見ていた春の夜の美しい夢よ。

 千五百番歌合で顕昭の歌と番えられて勝ちとなった歌である。

 花の香に陶然となっている風情が美しい。「の」を多用し畳みかけるように詠まれている。妖艶である。

 面影のかすめる月ぞ宿りける 春や昔の袖の涙に

(新古今集・恋・二・一一三六・水無瀬殿恋五十首歌合)

 人の面影のおぼろに浮かんでかすんでいる月が宿っている。春は昔のままの春ではないか、昔のままの春なのにと思って泣き濡れる袖の涙に。  春の朧月の夜の懐旧の恋情を袖の涙に想う幽艶の極みの歌である。

 下燃えに思ひ消えなむ煙だに 跡なき雲の果てぞ悲しき

(新古今集・恋・二・一〇八一・建仁元仙洞句題五十首)

 心のなかでひそかに思いこがれ、身は燃え尽きてしまうだろう。その煙さえ跡形もなく雲の果てに消えてしまうと思うと悲しい。

 ひとり、心に秘める苦しみに命も耐えきれなくなった思いを知られずじまいになる恋の悲しみを詠んだ歌である。

 言葉の技巧もあり、しかも優艶蕩々といった趣きがある。

 二人にはもっと沢山の秀歌があるが、ここでは右の三首ずつを鑑賞した。

 俊成卿女、宮内卿は式子内親王とともに、新古今集に光彩を放つ最高の女流歌人であるとつくづく思うのである。

 (各歌の現代語訳は小学館日本古典文学全集「新古今和歌集」によったものである)

あべの総合法律事務所ニュース いずみ第37号(2015/1/1発行)より転載

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