事務所ニュース「いずみ」
HOME > 事務所ニュースいずみ > 古典をたずねて > 世阿弥 能に寄せて その四

古典をたずねて

世阿弥 能に寄せて その四

 世阿弥の伝書(世阿弥自身の著書と世阿弥からの聞書)で、今日知られているものは、「風姿花伝」、「至花道」、「花鏡」、「六義」、「拾玉得花」、「申楽談儀」など、二一種である。

 「風姿花伝」を除くと、その多くが世阿弥の晩年(一四一八年~一四三三年)に書かれている。

 一般に猿楽者の教養はそれほど高いものではなかった。当時、一流と言われた役者(猿楽や田楽の演者)の中にも文盲の人もいたほどであったが、世阿弥はその高い教養と充分な経験で能楽論書を書くことができたのである。

 世阿弥の能楽論書は、観世座の棟梁として、①多くの能役者(大和四座、地方の猿楽の座、また田楽の各座)が競争している中で、権力者の前での「立会」や観客の前においていかに勝つか、一種のたたかいにおける戦術を伝えようとして書かれており、②一子相伝の「秘伝」として宗家の子に書かれ伝えられたものである。

 「風姿花伝」の中の「別紙口伝」(一四〇〇年ごろ)は元次(長男と伝えられたが定かではない)に、「花鏡」(一四二四年)は長男元雅に、「三道」(一四二三年)は二男元能に、「六義」(一四二八年)と「拾玉得花」(一四二八年)は女婿の今春禅竹に相伝されている。

ここでは「風姿花伝」について少し述べたい。

 「風姿花伝」(「花伝書」とも呼ばれているが、私は典雅な名称である「風姿花伝」と呼びたい)は、世阿弥が父観阿弥の庭訓を折にふれて書き留めたものである。序文と本編六巻(年来稽古条々、物学条々、問答条々、神儀云、奥儀云、花修伝)と別紙口伝一巻から成っている。

 内容は多岐にわたっているが、いかにして能を知るかということを、「花を知る」といったことに絞って追求している。

 序文では、「まづこの道に至らん者は非道〔本業(猿楽能)以外の芸道〕を行ずべからず」と言い、「好色、博奕(ばくち)、大酒〔三重戒。これ古人(観阿弥のこと)の掟なり〕」、「稽古は強かれ(たゆみなく)、情識(よい意見に耳をかさないこと)はなかれとなり」と言っている。

 年来稽古条々では、七歳、一二・三、一七・八、二四・五、三四・五、四四・五、五〇有余に分けて、その時々の稽古の心得を述べている。

 物学条々では、「物まねの品々筆に尽くしがたし」として「女」、「老人」、「直面」(面をつけずに演ずる)、「物狂」、「法師」、「修羅」(戦没して修羅道に落ちた武士がそこで苦患のさまを語りかつ見せる構想の能)、「神」、「鬼」「唐事」の演じ方を述べる。

 「別紙口伝」では、「この口伝に花を知ること、まづ仮令。花の咲くを見て、よろづに花と譬へはじめし理をわきまうべし」として、有名な「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」とか、「因果の花を知ること、窮めなるべし(これが花の極意である)。一切みな因果なり」、「花と面白きとめづらしきとこれ三つは同じ心なり」と述べている。

 世阿弥は多くの著作を残しており、われわれはそれらによって世阿弥の心を知ることができる。嬉しい限りである(紙幅の関係で、内容が浅いものになった。次回はこのシリーズの最終章として世阿弥の後半生について書きたい)。

  

あべの総合法律事務所ニュース いずみ第31号(2012/1/1発行)より転載

ページの先頭へ戻る