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寄稿

まじめに働く人々が報われる社会に

 「まじめに働く人々の努力が報われる社会になるよう、今年も、自分の立場から微力ながら力を尽くしたいと思います」―97、98年ごろに岩城穣先生が下さった年賀状に手書きで添えられていた言葉です。不条理に立ち向かい、庶民・弱者を助けようとする優しい弁護士の代表格が岩城先生をはじめとするあべの総合法律事務所の先生方だと思います。私はこの年賀状を仕事かばんに入れて数年間持ち歩きました。分野は違いますが、私も新聞記者の立場から弱者の力になりたいと願っていたからです。

 岩城先生は言わずと知れた労働事件、特に過労死・過労自殺の専門家で、欠陥建築問題でも日本屈指の先生です。私が先生と初めてお会いしたのは、神戸にいた95年12月、やはり過労死事件の取材を通じてでした。神戸で過労死問題に詳しい弁護士に取材するうち、「95年2月に労働省(当時)が通達した過労死認定の新基準の適用を受けた事例が増えつつある」と聞きました。「岩城先生が詳しい」とアドバイスされ、さっそく先生に電話しましたが、「残念ですが、記者発表しようと考えているんです」とつれない返事。しかし、粘り強く説得すると、とりあえず会って下さることになりました。

 当時の事務所は今の事務所の斜め向かいにあり、天王寺公園が一望できる眺めのいい部屋でした。弁護士は蒲田先生とお二人だけでしたが、愛想よく機転もきく事務員の根木原さんが印象的でした(今や事務局次長として大車輪のご活躍です)。さて、取材した事案は私が単独で書いてもよいということになり、同月23日朝刊で「大阪労災保険審査官が『過労疾患』と逆転認定 全国初、新基準で労災を適用」との見出しで大きな記事になりました。

 翌年4月に私が大阪に転勤してからはさらにご縁が深くなり、「母国の医師資格もつ中国男性『予備試験不免除は差別』異例の異議申立」(96年5月)▽ 「『不規則休暇で過労死』大震災で仕事急増 大阪地裁にきょう提訴 溶接工の遺族」(98年5月)▽「元ヘルパーの労災認定 寒気で高血圧の持病悪化」(99年3月)▽「労災保険支給 病院ヘルパーにサービス残業分を加算」(同年10月)▽「過労死未然防止へオンブズマン 大阪で弁護士ら12日結成」(01年6月)▽「日本ペイントにサービス残業代支払い勧告」(02年2月)――など多数の事件を取材させて頂きました。

 また、蒲田・岩城・上出先生が担当された「『マンション風』被害者が提訴 大阪・堺市の住民2世帯」(99年12月)という事件も話題性豊かで、その後、画期的な勝訴判決を勝ちとられました。今の事務所に移ったころから上出先生が加わって明るく大きな声でにぎやかになり、さらに、私が02年に大阪を離れた後、新戦力が続々加入されたのをホームページで拝見してきました。この春、4年ぶりに大阪に戻り、岩城先生と再びお会いできました。今度は事務所にもお邪魔し、一層のにぎやかぶりに触れるのを楽しみにしております。

毎日新聞社・大阪本社社会部記者 岩崎 日出雄

毎日新聞社・大阪本社社会部記者 岩崎 日出雄氏のご紹介

 岩崎日出雄さんとは、神戸支局におられた95年12月、電話でいきなり「過労死の認定基準改正後の認定状況について取材させてほしい。社会面トップに載せる自信があります」と、やや強引な(?)取材の申し入れがあり、私がちょっとムッとして「名刺をFAXして下さい」と言うと、思い切り拡大コピーした名刺をFAXして来られたのが最初の出会いでした。  その後、大学の後輩ということもわかり、個人的にも親しくなり、これまでに実にたくさんの記事を書いていただきました。
 ガス管溶接工の過労死事件や、堺市のマンション風害事件では、取材を兼ねて自ら弁護団会議に出席したり、関係者から細かい聞き取りをして事実関係の整理をしてくれたりもしました。その熱意と丁寧な取材には頭が下がります。また、私が何気なく紹介した事件でも、「こんな見方があったのか」と関心するような鋭い切り口で記事にしてくれることもありました。
 岩崎さんは、東京での1年間の外信部記者、3年間のジャカルタ特派員の重責を終えられ、この春大阪に戻ってこられました。その社会派ぶり、人権感覚は健在です。
 職業は違っても、これからもお互いに、共感や刺激をしあえる、よい関係でいたいと思います。

弁護士 岩城 穣

あべの総合法律事務所ニュース いずみ第20号(2006/8/8発行)より転載

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