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寄稿

人生を推敲する遊びの世界・俳句

原稿のご依頼を受けてしばらくした時、蒲田先生より「ニジェールの本ができました」と冊子を戴いた。これが大地の色かとドキッとさせられる黄土色の表紙であった。ニジェール行きの企画については先にお聞きしていたが、身を挺しての谷垣医師の御行為に心を揺さぶられるまま何もできずにいたのだった。

 蒲田さんが弁護士であられることは十分承知していたが、今、俳句のお仲間としてできることはないかと、この企画に際して思いめぐらせた時、些かのタオルを集めること位しかできなかったことが申し訳け無かった。氏はお仲間と遂にニジェールまで行ってこられたのだ。

 ともかくページを開くと、そこここにニジェールの人々の美しい笑顔があった。そしてその行間を埋める十七文字がすぐ眼についた。人々の暖かい心の交流が過不足なく十七文字に表れている。

「灼熱のサハラ眼下に友訪ね 平井英子」の文字が目に入る。着陸の前の興奮と些かの不安もありそう。現地の人々との交流が随所に描き出される。

「四阿に憩ひ涼風おのづから 豊彦」立ち木を切って柱とし、葦のような屋根を葺いて蔭を作って迎えてくれた人々への感謝の思いであろう。

「粟を搗く粉になるまで粟を搗く 豊彦」作者みずから杵で搗かれたようである。

「扇風機二人の妻のそれぞれに 豊彦」とは・・。こんな重大な現地の風習をさりげなく読み込んだ作者は勿論、読者も一生忘れられない句となることと思われる。

「囀りのころげ落ちくる大樹かな 豊彦」は素晴らしい感覚。「囀り」の季語により棲む人々の心の豊かさや情が籠められ、それが句の深みになっていると思う。とすると先ほどの二人の妻も我々がどきっとするほどの事ではないのかもしれない、などと、思いはじめた。

 わずか十七文字の文芸ではあるが、大きな人生や世界、宇宙観まで包含したものがバックに見え、作者の気づかないところで表現されていることさえあるのが「俳句」である。

 芭蕉は俳句を『夏炉冬扇』の類であると言い『高悟帰俗』であるべきだという。俳諧は夏の炉、冬の扇のように何の役にもたたないが、その場合、心は高雅でなければならないと考えていた。高く心を悟っていて俗に帰らなければいけないというのである。

 俳句は机の前で思考をめぐらすのではなく、日本という風土や生活全般を横軸に、歴史や時を縦軸として四季折々の感動を詠むものではないかと思っている。そこに季語の働きが物を言う。

 よく「吟行」と称して暇があろうと無かろうと出かけているが、自然に身を置くことで自分の存在さえ客観的に捉えることができることが人生にとっても大切なことであろう。それを書きとめていくという遊びにするのが俳句ではないだろうか。

 芭蕉はまた『俳諧は三尺の童にさせよ』とも言う。俳句職人になることを諌めた言葉で、俳句の形も知らず、稚拙な言葉であっていい。こころが純粋で嘘偽りなく素直な句、つまり子供に作らせたほうがいいと、つまり、初心忘るべからずと教えている。

 昨年は近代俳句を確立した正岡子規に絡む『坂の上の雲』が放映された。「写生」という言葉は子規により敷衍されたが、芭蕉は作者の心が一句の底に存在しなければならないと考え、推敲についても自身に厳しく、常に自分の句についても弟子に問うていた。句会は互いに一線上で選をすることであり、句会により、推敲により、句姿を高く、句の位もよろしくなっていくものである。

 江戸時代から先人がまとめてきた『歳時記』は、時候・天文・地理・人事・宗教・動植物まで分類され、季節の移り代わりの中に生活する人々の詩心を敲きおこしてくれるものである。人生は競争ではない。よき仲間と共によき時間を得ることができるかどうかが幸せの尺度となるのではないだろうか。

 ご興味のある方もない方も、どうぞ豊彦さん(俳句の世界では身分や地位はなく、すべてお互いを名前で呼び合っていますので失礼ながら、最後に親しみをもってお名前で呼ばせていただきます)へ一度ご連絡を。童心に戻って十七文字に指を折ってみて下さい。

 俳諧の為にあると言える日本の春夏秋冬を楽しんでみて下さい。 

安部和子

安部和子氏のご紹介

安部先生は昭和12年生まれで、高校時代から俳句、詩、短歌を詠まれる文学少女だったと聞いています。
俳句結社「雨月」に所属され、特別同人として、また同時に、俳誌「たまかずら」の代表としても活躍されています。
 私も俳句を楽しんでいますが、いつも先生に指導していただいています。
 先生は吟行を重視され、自然のさまざまなものをよく観察し、客観写生による句作をされる俳人です。
 平成19年には、第1句集「 神稲(かみしね) 」(386句)を上梓され、続いての第2句集の出版が待たれるところです。
 私は「神稲」の中にある次の句が好きです。
  入 学 の 子 に 今 日 よ り の 桜 島   和子

 先生のこの寄稿で俳句に関心を持たれる方が増え、輪が広がればいいなと思っています。

弁護士 蒲田豊彦

あべの総合法律事務所ニュース いずみ第30号(2011/8/1発行)より転載

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